誰かの言葉で、生きてた。
「それ、正しいよ」
「こうすべきだ」
「あなたの考えは甘い」
たくさんの声に囲まれて、
気づけば、自分の声が、聞こえなくなっていた。
SNS、ニュース、論評、正義、批判。
情報の波に飲まれながら、
“自分の意見”のように話していた言葉は、
ほんとうは、誰かのコピーだった。
「沈黙してるやつが一番悪い」
「何か言えよ」
「黙ってるってことは、賛成なんだな?」
そんな空気の中で、
沈黙はいつしか“逃げ”とされるようになった。
でも、ほんとうは──
沈黙とは、外の声を遮断し、自分に問いを返す時間だったはずだ。
反応じゃなく、内省を。
攻撃じゃなく、理解を。
勝ち負けじゃなく、共鳴を。
“論破”が当たり前になった時代に、
問いかけたい。
反応は、誰かの答え。
問いは、自分の“まだ言葉になっていない”真実。
いつから、
「沈黙」が悪いことになったんだろう?